| 昭和48年生まれの女。ごく一般の家庭で父は大工としてその当時は成功していた。母は、専業主婦で庭一杯に花を植え幸せな毎日を送っていた。そんな家庭を崩壊させたのがこの幼少時代に始まる。私が今まで生きてきた中で、これは語らずにいられないというのが「宗教」である。 2歳の頃、母親が「E」という宗教を始める。 最初、父は母親が「E」にのめりこんでいくのを、必死で止めようと反対していた。しかし、それはサタンの仕業だと教えられている母は「この試練に耐えて神様に喜んでもらう。」と闘志を燃やしていた。(と、思う。私が2才の頃だから本当のところは分からないが・・・・。) だが、父親は母に「お前にこの宗教を教えた幹部を呼んで来い!」と叫んだことから事態は急転する。この幹部とやらは、非常に説得が上手で、父親は聖書の教えをすんなり納得してしまい、父親も入信してしまったのだ。この日から、宗教一家となってしまった。 1年365日、聖書とそれに関連する書籍を開かない日はなかった。これは、私が宗教をやめると決意する日まで続く。 世の中孤立するような生き方を強いられ、保育園や幼稚園には行かせてもらえなかった。だから、この当時は「友達」とは何たるものやと思っていた。 小学校に上がるまでは、毎日、朝は伝道というものに連れて行かされ、昼からもその続きに行かなければならない。夜は集会という名の勉強会へ。集会のない日は、家族で宗教の本を勉強する。 伝道たるものは、地獄に近かった。暑くて、アスファルトから湯気の出る日も、寒くて雪がちらつく日も3時間歩かされる。夏の日なんか、水も飲まさせてくれない。 半分、脱水状態で微熱が出ていても休まさせてはくれなかった。泣きたくなるのを必死でこらえた。泣きでもすればむちで叩かれるからだ。伝道中、泣いたりしてむちの刑を受けている子を見て「私だけは叩かれたくない。」と、おびえていた。 このむちの刑は、現在「E」の宗教をやめていった2世の間では問題になっている。これは家庭によって違ったが熱心にやっている「E」の家庭では、虐待まがいの事が行われていてようだ。実際、これで精神的な病気を患った人もいる。 私の家にはテレビがなかった。世の影響を受けてはならないからと、処分していた。この宗教の発行するもの以外は「サタン」だった。(サタン=一般的には悪魔・魔王のこと)私は、社会から孤立していた。これは小学、中学、高校ともになかった。 次は小学校時代へ |