小学校時代


小学校に入学すると、空を飛んでいる感じになれた。「E」から少しでも解放されるからだ。学校は楽しかった。

でも、毎日学校があるわけではない。

日曜日、祝祭日、春・夏・冬休みがあるのだ。休みの日は、すべて「E」の活動に充てられた。

「家から家へ神のみ言葉を述べ伝えなさい。」という教えに従って、伝道をしなければならない。校区内を回らなければならない日は、辛かった。

チャイムを鳴らして、家から出てきた人が同級生だったりすると、本当に穴に入りたくなる。次の日、学校でクラスメートに言いふらされていないだろうか、家から出てきた同級生は私のことをどう思っているのか気になって仕方がない。

校区内の伝道活動の日は、休みたかったがそうはさせてくれなかった。仮病も使えなかった。


学校で作った友達とは、家に帰ってから遊ぶことは滅多になかった。「学校の友達と遊ぶことは悪い交わりになる」と、教えられた。

つまり友達の影響を受けて、聖書人生を破壊されては困るというわけだ。その頃流行ったファミコンダメ、本屋さんで売っている本はダメ、テレビもダメなので、学校の友達と遊ぶ必要はないというわけだ。

だから、友達にいつも言われた。「どうして、日曜日は遊べないの?」と。でも「E」をやっていることを恥ずかしく思っていたので、本当の理由は言えなかった。


クリスマス、七夕、子供の日など行事と名のつくものはほとんどだめだったので、私にはあまり楽しみがなかった。

クリスマスには、学校の体育館に集まり、みんなで笛を吹いたりしていたが、クリスマスがダメな私は、いつも体育館の外に出ていた。

まず、クリスマス前になると、担任の先生に「クリスマスは、聖書の歴史上、正しくないもので『E』の神様も、クリスマスを祝うことを望んでいないので、私はクリスマス会には参加しません。」と、言わなければならない。

先生は「そんなに深く考えないで、レクリエーションのひとつと考えて参加したら?」と言うが、もしも、クリスマス会に参加したことが、親の耳に入ったら、むちで叩かれるので、参加しなかった。

クリスマス会の日は、体調不良を理由に学校を休みたかったが「E」の神様がそれを望んではいないとのことで、学校に行かなければならなかった。

クリスマス会が始まると、体育館の外に出た。寒くて、寂しかったけれど、親にむちで叩かれるよりはましだと、必死にこらえた。こうして、クリスマス会に参加しなかったことを、親に報告すると、喜んでくれた。そして、無事、クリスマス会に参加せずに、また、担任の先生や同級生に「E」の神様の名前を知ってもらえることができたことに、感謝の祈りをささげた。

また、私の育った県は「よさこい鳴子踊り」というものがある。そのよさこい鳴子踊りを運動会で踊ることがあった。

しかし「E」的に見ると「あれはお盆の時に帰ってくる先祖の霊を慰める行事だからダメ。」と、言う理由で多くの「E」の子供たちは参加しなかった。(「E」をやっている人間はお墓参りもしない。死んだものには魂も何もなく、無になるのだから、そんなものに手を合わせる必要はないと言っている。)

で、うちの家も「そうだ、そうだ。」となり参加することができなかった。

これは、クリスマス会より苦しかった。クリスマスの練習は題目が「クリスマスの歌」でなければ、練習の時点では参加できたが、鳴子踊りはそうはいかなかったのである。

鳴子(かちゃかちゃ音のする木でできた物)を買ってもらえなかったので、練習のときから、参加できないのである。運動会までの体育の時間なんて何回もあるわけだ。その度に、場外に出て見学をしている私。もう、惨めで恥ずかしくて、胃が痛かったのを覚えている。

七夕は少し楽勝だったかな。幸い、私の通っている小学校には「七夕会」というものはなく、図工の延長線上に飾り付けをするくらいのものだったと思う。なので、作った飾り付けや短冊は誰も見ていない間に、もじゃもじゃっと潰しポケットの中に入れていたような気がする。


小学校の低学年の頃から、むちで叩かれないように、親に嘘をつくことが多くなった。学校の友達にも、仲間外れにされることが怖くて、見てもないテレビ番組を「見たよ。」と、嘘をつく。

これがひどくなり、自分でも何が嘘で、何が本当か分からなくなる。自分を嘘で固めた。これ、今でも、時々ある。とっさに口から出るので困る。「昨日、何を食べたか」に対して、食べてもない物を言ったりして、どんどん空想にはまっていくなんてことがある。

こんなことで嘘をついてもしょうがないのに。治す方法があったら、誰か教えて。


小学校の高学年になれば、同級生のほとんどが、私が宗教をやっていることを知っていた。なのに、学校では言葉使いが悪く、宿題も滅多に出さず、いじめに加わったりしていた。

それを見た、ある男子に「お前宗教をやっているわりには、他の子よりも態度が悪い。」と言われた。すごくショックだったが、事実は事実である。

しかし、直そうともしなかった。学校ではぼろぼろだったが、家では言葉遣いを丁寧に、親には従順に暮らしていた。これ「E」式に言うと「裏表のある生活」というわけだが、まさに私はこれだった。家では何も意見を言えず、「E」の宗教内では模範的な子供だったのだ。

「E」の宗教内では、年に3回ほど大会という名の集まりが行われている。その当時四国内の人たちが集まる「地域大会」と県内の人たちが集まる「巡回大会」があり、私はその巡回大会で、模範的な子供として舞台に立ったことがあった。

どれだけ模範的なのかを経験として言うのだが、今考えると嘘八百って感じだ。父親も、だいたい、何がしか舞台に立ち県内の「E」の世界では少し有名人だった。

次は中学校時代