高校から社会人へ
(かなりの長文です。お許しを!!!)


高校は、女子高で、自宅からJRに乗って通学する。高校に入ってからも、嘘つきは直らなかったが、それでも、友達ができて自律神経失調症はあまり発症しなくなった。

高校時代、父に逆らうことをあきらめて、なんと、宗教人生を満喫していたのである。


「E」の組織内では模範的人物になろうと必死だった。クラスの人にも私は「E」の宗教をしているということを公にするほどであった。しかし、心の奥の奥では宗教をやめたいと思うことがあった。

まあ、高校は平凡にやっていたので、特に書くこともないかな。(というか無難に生活していたのかも。)


高校3年生の夏ごろに「就職」に関することで、学校からいろんな資料を見せられた。

ほとんどの選択肢が県外の会社であった。早く家を出たい私にとっては夢のような話だったが、全時間労働はあまり許されない宗教生活を送っていたので断念する。
(アルバイト・パートの仕事をしながら、宗教活動をすることが宗教内で薦められたいた。)


私の通っていた学校は進学校ではなかったが、私は先生に「短期大学くらいなら入学できるかもしれない。」と言われた。

私自身、見栄っ張りで学歴に関しては多少気にしていたし、興味はあったので「これはおいしい話だ。」と思った。父親も反対はしていなかった。

しかし、宗教内では学歴など必要がないという空気が漂っていたので、これも断念する。(この世はハルマゲドンによって滅び、その後の世界は「E」の人間が生き残るという教えだ。その世界には学歴なんて必要がないから、大学に行かなくてもよろしいと考えている。)


高校を卒業して、本当にいろんなことがあった。いつどこで何をしていたかはっきり言えないくらいになっている。そう、履歴書を正確にかけない。いつどこに住んでいたのかはっきり言えないから。

しかし、宗教をやめなくては、私の人生は開けてこないと思い「いつ、やめようか」に焦点がしぼられた。


20歳の頃、運送会社に就職し、残業が増え始め、やがて夜の集会や伝道にだんだんと行かなくなる。

仕事が終われば、閉店までじゃんじゃんばりばりに出かけ、タバコの吸いすぎで胸が苦しくなる日も多々あり「人生なんてこんなものか、あほくっさ〜」と、思って過ごしていた。

父は、私に対して何も言わなくなった。こんな生活を3年くらい続けて、県外に引っ越すことにした。

滋賀県で部品組み立ての仕事をすることにしたが、家を出て行くとき、父は「二度とうちの敷居をまたぐな。」と言った。(敷居なんてないのにね。)


やっと宗教から解放される。友達と別れるのは辛かったが、うれしかった。でも、世の中そんなに甘くはなかった。毎日、同じことの繰り返しで、また、自律神経失調症を発症してしまう。

肩こり、頭痛がひどくなり会社を休みがちになり、結局、自己都合退職をしてしまった。

県外に出て、友達もできず、1人黙々と生きていたような気がする。彼氏がいたが、どうでもよかった。

寂しいから、1人でいるのが怖いからその男にすがっていたようなもので、すぐに別れがきた。

この男には「体がだるいとか、頭が痛いというのはお前の気持ちの持ちようだ。」と、理解のない言葉を言われたし、何よりも私の子供の頃の話をまともに聞いてくれなかった。

そして、津山、奈良、神戸と転々としていた。引っ越すたびに母は、お金を送ってくれた。

母はこの頃、私が精神的におかしいことを理解してくれ、手紙や電話で励ましてくれた。手紙は今でもとってあるが、読み返すと涙が出てくる。


母に心配をかけるのが一番辛かった。お金の面で援助してもらうことが、何よりも心苦しかったので、神戸では夜の商売に手を出した。

顔もスタイルもよくないが、世の中にはブス専門の商売もある。しかし、美人が揃っている所と比べると値段も安くなる。

それでも、1ヶ月は働いてみた。しかし、自律神経失調症まっしぐらである。男の人は、ブスだからと卑下して帰る。毎日楽しいことをして、お金がもらえるなんてとんでもなくうそ。ストレスがたまってやめた。


この頃、借金が満杯になり、債務整理を弁護士に頼む。もう、生活はがたがただった。このころ、一時パチンコ癖は治っていたのだが、生活費が足りず借りまくっていた。


結局、これ以上1人で生きていくのは無理だと思い、実家に帰ってきたが、父親は、あまり歓迎してくれなかった。

宗教をやらない奴は、うちの敷居をまたぐなということなのだ。しかも、一流ヘビースモーカーの私にとって、家でタバコを吸えないことが辛くなり、家を出て行くことばかり考えていた。が、お金がない。仕方なく半年くらい実家にいた。


やがて、現在の男に出会う。別に優しくはないが、暴力を振るったりしないので、まあ、いい人だと思う。逆に私がイライラしたときに、暴言を吐いたりしている。

これは、反省しているが・・・。私の過去を彼は理解してくれている(?)ので、その点が助かっている。

今までの男は「昔のことをうじうじ思い出していては前進しない」などと言って、理解してくれなかった。確かにそのとおりだが、否定されたらなんだか気が滅入る。

というわけで、今の男はそういう意味でよい男だが、それにしても、汚い。これが一番の悩みだ。片付けない。そのままにしていたら、物とゴミに囲まれて座布団の上に座っている。片付けてくれ〜〜〜〜〜〜〜!お願いだから。

まあ、この男に出会ったおかげで人生が変わったといっても過言ではないから、感謝している。この男の家に転がり込んだ頃、バイトがくびになり無一文になった。男に、生活の面倒をすべて見てもらい、ごろごろしていた。

それを、男の友達の奥さんが見かねて、病院の看護助手を紹介してくれたのだ。しかも介護病棟で。

私は、老人のことが嫌いだった。でも、お金のために何も考えず、就職したのである。そこからかな、自分の人生を考え直したのは。介護技術は習っていくうちにできるようになる。

でも、心理面では奥が深く、痴呆の方が、何でこんな行動をするのか、何でこんなことを言うのかを考えていくと、非常に難しくもあり、納得してもらえたときの達成感って大きいもの。

仕事でやりがいというものを感じたのは、この仕事が始めてだった。そこで、介護を極めようとヘルパー2級を受講し、現在、介護福祉士を目指しています。


もうひとつ、人生を考え直そうと思ったきっかけは、同級生。私は、中学校の頃いじめられてたんですよ。だから、中学校の同級生だけには会いたくありませんでした。ところがひょんなことで、男の同級生の3人と出会いました。

で、女の同級生とも。(この人は高校が同じだったから、たまに会っていた。)その日からすごく仲良くなりました。そこから一緒に遊ぶようになったかな。

マージャンするときは、男2人と女の子と私、計4人で集まってます。(これも、最近お互いに忙しくて、なかなかあえないけどね。)

このうちの1人、N君とでもしましょう。君は、とある会社の専務。それも、親は地元では有名なお店を持っていて、何店舗かある。「親のすねかじりでいいじゃん。」と、思いがちですが、彼は違いましたね。

店の経営のために県外へ勉強に出かけたり、従業員のことで思い悩んだり。

忙しいのに趣味は多才で、人生にすきがない。ジャージにおっさんのつっかけを履き街に出かける彼は、なんかいい感じです。

彼は彼なりに、悩みがあるようですが時々言ってやります。「私よりは輝いた人生を送っている。」って。

もう1人の男、
くんは郵便局に勤め、まさに安定した生活を送ってます。ぼーっとしてて何考えてるか分からない奴ですが、パソコンに詳しい。スノボーが好きらしい。まあ、君は君なりの悩みがあるようですが。

&もう一人(
くん)はホテルの何とかマネージャーで年相応の地位につき、働いているようです。(くんはいつも集まる4人には入っていない。呼んでも滅多に来ないので最近は誰も声を掛けなくなった。)

で、女の友達(
ちゃん)。この人、美容師で、意見をはきはき言い、顔のためにエステ通いをしているすごい奴です。顔を守るためなら何でもやる。

こんな奴が、眉毛をもっさもさに伸ばし放題の私と付き合ってていいのか?っちゅう話ですが。でも、人の悩みをえんえん聞いてくれるいい人です。仕事も認められ、店長としてバリバリ働いてます。

以上3人と出会って、人生変わりました。みんな、頑張ってるんだもん。私だけ、じゃんじゃんばりばりに出かけ、がばがばタバコを吸って、月末、(彼氏が帰ってこないと)物乞いのように、友達の家に出かけてる自分が恥ずかしいでしょ。と、言いつつN君には「めし食わせろ!」と、脅迫してますが。


私は両親に対して「時間を返せ!」と、言いたくはなります。もっと自由に子供時代を送りたかったです。でも、親を恨んではいません。

私立だったので、普通の高校よりも金銭的に迷惑をかけたし、何よりも卒業後何百万円も私に貢いでくれました。

母は、小さな身体で、朝早くから夕方まで働いています。(2008年1月現在は病気療養中)そのほとんどを私に送ってくれました。

金銭面だけでなく、愛情面であふれんばかりのものを私にくれています。母の笑顔、優しい声を思い出すたびに、私はいっぱいいっぱい涙が出ます。

お母さんがいるからこそ、私は生きてこられたと言っても過言ではありません。母は、私に「宗教をやってほしい」とは言いませんが、心の中では思っているに違いありません。

でも、その母の願いを私は叶えることができないので、それが私にとって一番苦しいです。


今でも、時々父親に追いかけられて、叩かれそうになる夢を見ます。何で私には自由がないのだろうと夢の中で悩み、寝ながら、涙を流すときがあります。

でも、母や出会った友達に支えられ(ついでに私を拾ってくれた男も)生きています。

憎くて仕方なかった父も、最近は丸くなってます。父を許すとか許さないという問題ではなく、私は父を受け入れることができるようになりました。今では、一緒に買い物や食事に出かける事もあります。

父や母を憎んでいたのではなく、私は、両親のやっている宗教に憎しみを感じます。

父や母には、それなりの人生があって、自分たちで選んだ道が正しいと思うのなら、そのまま思う道に進んで欲しいと思います。ただ、私がその宗教の教えや生活スタイルを納得しないという話しなんです。


今の目標は、仕事を極めること。コレは、人によって違うと思います。家族を大切にするために生きること、趣味で何か賞を取ること、巨人に命をかけること(うちの彼氏は寅吉ですから、「巨人」は禁句ですが)など、なんでもいいんです。

達成感を味わえることを何か見つけると、生きることって楽しくなりますよ。そのためには友達選びって大切です。

類は共を呼ぶじゃないけど、パチンコばかりしていると適当な奴しか寄ってきません。「なんか、面白いことない。」「ちょ〜ひま」が口癖の奴ばかりが集まってきます。

でも、同級生と出会えて趣味が増えたし、前向きに生活できてます。


で、自律神経失調症はというと、正直、治ってません。というか、心療内科で「反応性うつ病」と診断されました。肩こり、頭痛、不眠、ちょっとパニック障害におびえてます。

うつの症状が出ないときは、いくらでも働けるし、いくらでも遊べますが、いったんうつモードに入ると寝込んでしまいます。

あ、それから、私はうつ病のほかにも病気があって、これが苦しいんですよね。子宮内膜症、斜視、指の不全切断(*)などがあり・・・・・ついでに肥満?それぞれの病気が悪化すると爆死しています。

(*)県外で仕事をしている時に、嫌になり高知に帰ろうかと一時帰郷していた。そのとき元の運送会社で年末だけ、アルバイトをさせてもらった。

そのバイト中、トラックの荷台から地面に飛び降り、気づいたら左手中指の指輪が荷台の骨組みに引っかかっていて、ずるっと指ごと飛んでいく。指が飛んだわりに近くの病院まで運転したが・・・。

「痛かったでしょう?」ってみんな言ってくださるが、痛いと言うより腰が抜けそうになったことを覚えている。一応、引っ付けてもらったが、指先真っ黒で壊死しかけていた。

手術は失敗かと思われ、医師から「近々切断する。」と言われたが、何とか切らずにすんだ。今はしっかりと中指はある。
ただ、曲がっていて形はいびつだ。これが冬になると痛い。(運送会社の社長さんとその奥さん本当にご迷惑をおかけしました。)

というわけで成せば成る。明日に向かって突進しますぞ!みなさんも、夢・希望・目標を持って突進してください。では。

おしまい・・・。